オリオン座を見上げる夜半
2008 / 11 / 20 ( Thu )

先だってアメリカで行われた
同性婚禁止の可否を問う住民投票の結果をうけて
各地で 数千人規模の抗議デモが行われているというニュースを目にした。
また、 同性婚禁止可決を書いたこのブログにいただいたコメントを見て
思わず考え込んでしまった。
世間にとってはまだ 「 同性愛 = 異常性愛 」 なんだろうか・・・。

時代は加速度的に変化しているとはいえ、
この時代にあっても、壁はまだ高く厚いという現実に正直言って驚いた。
日本においては、( 詳しくは知らないが ) 性同一性障害の人の
戸籍の性別の変更が認められたと聞き、
何事にも決断の遅いわが国にしては 画期的な判断だと
その柔軟性を 喜ばしく思っていたけれど、
今回この結果を受けて 同性婚を認める法改正への道は遠のいたのではないかと思う。
本当に残念でならない。

別に結婚と言う制度にこだわらなくても・・・ と思われる方も多いと思う。
けれど、 憲法で認めらるという意義は やはり大きいと思う。



あなたは 自分自身同性への恋を自覚した時、 どう思われただろうか。
異常者ではあってはならないと、 自分を戒めようとしただろうか。
同性であれ異性であれ、 愛する気持ちに違いはありはしないと
戸惑いながらもそう思われたのではないだろうか。
私もそう思った。 自分を異常だとは思えなかったし、今も思っていない。
( そこが異常なんだよー!という声がどこからか聞こえてくるような 気がするが、 
 気にしない 気にしない。 )

ふと思い立ってブログを始めて数ヶ月、 自分を解放する場として
好き勝手に その時々の思いを放電してきた。
あまり熱心でないわりには 思いがけなく、
ネット上の淡いコンタクトではあるけれど、 意外なほど色々な人との交流も始まった。

閲覧してくださっている方はご存知だと思うけれど、
時々 自分でもどうしようもなくて愛する女性への想いを吐露してしまう時がある。
「 なぜその女性と今一緒にいないのか、どういう事情なのか、」 
・・・という質問をよく受ける。
または気を揉んで色々と心配をしてくださる方もいて、
ちゃんとお返事しなきゃな・・・ と思いながらも、 なかなか向き合えずにいた。
躊躇もし、逡巡するものがあるけれど、この機会にできるだけ書いてみようかなと思う。
気楽に読み流してください。
( そして不快に思われる方は、どうぞスルーをお願いします。 )

    カプチーノ・葉 

十数年にわたって、 彼女と  ・・・付き合った・・・? 交際した ・・・?   
いや、 そんな軽い表現はしたくない。 私たちは愛し合った。
別に 彼女以前にも以後にも付き合った人はいるし、
これからも最後の恋だなんて言う気はないけれど、やはり彼女ほど深く愛した人はいない。
じゃあ何故その最愛の女性と一緒にいないのか?

双方の親族まで巻き込んで、家族や社会と 思い切り正面衝突してしまったから。
そして、私はその彼女を守りきれず、
別れる事が 彼女をこれ以上苦しめずにすむ最後の手段だと思ったから。
そうなった理由はただひとつ。 私たちが同性だったから。
きれいごとを言うつもりはないけれど、簡単に言えば、これが正直な答えかな・・・。
同じセクシュアリティーの方なら分かっていただける部分があるかもしれない。


世間は目ざとく、 残酷で容赦がない。 
多くのセクシャルマイノリティーが苦しむように私も同様、揶揄や蔑視にもさらされ続けた。
今思い返してみても、 日々小突き回され続けてきたような印象が残る。
でも若さというものは怖いもの知らずで、
お互いに想いを隠しきれない・・・というか 隠す気もなく、 
それどころか私たちは 先の見えない2人の将来に、
針の先程でも なんとか光明を見出そうとしていた。
けれど、 彼女はここへ来るまでに 一体どれほどのものを振り払って
私の元に辿りついているのだろうか・・・、
横顔を見ながら そんな事を考えることが幾度もあった。

彼女の親戚の女性が自殺を図った。 理由は結婚目前になっての破談。
そしてその原因は私たち。
「 変態が近親者にいる家系は困る 」というのが破談の理由だった。
一命はとりとめたというものの、本当にとりとめたというだけ。
重度の介護が必要な状態になってしまった。
彼女の家族は親族の中で立場を失った。

私たちの関係は、世間にとってそんなに忌むべきものなのか、
またそんなところにまで影響し、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうものなのか、
お互いしか見えていなかったけれど
社会から隔絶されたところで生きているわけではないこと、
また 見上げるような世間の壁の高さを目の当たりにし、呆然とした。

彼女とのことは私の一方的なものなのだと、 どこへ言っても もう あとの祭りだった。
当然彼女の両親と私側もモメにモメ、 私は戸籍を外され一族から放逐された。
以前ブログにも書いたような記憶があるが、 生理的嫌悪というのだろうか、
とりわけ母親の私に対する嫌悪と怒りはすざまじく、
もともとあの保守的な気風の強い家にあって私は、いてはならない存在だった。
遅かれ早かれいずれそうなっていたと思うし、彼女との事はただのきっかけに過ぎない。 
私は早くから家を出ていて、別に今更どうなっても構わないと思っていた。
けれどこうした帰属意識というものは、すこしずつボディーブローのように効いてくる。
親族の冠婚葬祭はおろか、 父の法要への出席もかなわず、
ましてやこれから母の葬儀への列席など望むべくもない。
お盆や正月に帰るところがないのが寂しいとは言わないが、
そうした関わりがないことで、口さがないご近所から
「 出所してきた犯罪者ではないか?」・・・と訝られるのには参ってしまった。
バカバカしいと思われる方もいるかもしれないが、
普通の社会生活を送るために、
人目を憚って もうずっと盆暮れはそっとホテルで過ごしている。

話を戻すが、その余波で私は退職を余儀なくされた。
直接私が意図的に何かをしたわけではないけれど、
不幸の遠因なのは事実なわけで、
持って行き所のない怒りと悲しみを 人事にぶちまけた人の気持ちもわかる。
争う気持ちにはなれなかった。
その後転職をしたけれど、そこも同様の理由で追われることになった。
そんな時、介護の手伝いを、きっと針のむしろのような中でしていた彼女の母親が倒れた。
不幸の連鎖はたたみかけるように加速する。
でも、そんな時なのに・・・いや、そんな時だから尚更なのかもしれないが、
彼女とはお互い切迫したように互いを求めた。

そんな状況にも拘わらず、彼女と別れる気など頭の隅にもなく、
尚 道を模索していた私の気持ちに
自分自身思いもかけず亀裂が入った日のことは今でもよく覚えている。
特段 何か劇的なことがあったというわけではないのだけれど。

ある日、偶然ある喫茶店で彼女と居合わせた。
いつから彼女と両親がそこにいたのか知らない。
私が先に来ていたのか後なのかわからないけれど、ほんの数m先に彼女はいた。
彼女はこちらを向いて、ご両親は背中を向けて座っていた。
彼女の父親の白髪がどっと増えていた事と、母親の細い首と薄くなった肩が目についた。
彼女たちをみとめた時、なぜかいつもと違う感覚がした。
水の中に一滴落ちたインクがゆっくり広がっていくように、胸の中に不安が広がった。
彼女は1度も私と目を合わさなかった。
当時使っていた彼女からのプレゼントのジッポーのライターで、
思い切りカッキーンと音をたてながら、私はしきりにタバコに火をつけた。 (今は吸わないよ)
みるみる灰皿にたまっていく吸殻と彼女を見ながら、ナゼか嫌な予感に胸がざわついた。

どこから見てもごく普通の休日の家族の情景。
私は無意識のうちにいつもどこか目をそらしていたけれど、
彼女は1人娘、両親に慈しまれ育ち、また彼女も両親のそうした思いを十分承知していた。

・・・彼女は私に気付かなかった?  いや、気付いていたと思う。
私に気付いた様子を見て両親が振り返り、そこでまたお互いが傷付く事になる、
だから気付かぬふりをした。
そういう風に慮ってくれたんだろう。  そういう人なのだ。
見事に私の視線を外しながら、表情一つ変えない彼女。 
いつの間にそんな事ができるようになったのかと思うと悲しくなった。  
そんな彼女の気を張った姿が痛々しくて、胸がつまって涙が出た。
天下一品のあの笑顔を守りたいと いつも願っていたはずなのに、
逆に彼女の表情を陰影のあるものにしてしまったのは、 他ならぬこの私。
そう思ったとき、足元の地面が崩れ始めた。
いや、向かい合う私たちの足元に亀裂が入り、私の立つ側が谷へ崩れていったという
表現の方が近いかもしれない。
彼女は一歩も引かなかった。 でも、きっと苦しんだんだと思う。
なんでもない時になんでもない事のように、
ふと彼女が一緒に死のうかと言ったのを思い出す。
その胸のうちを思うと、本当に胸が痛い。
好きになってごめん。
君の人生に関わってしまってごめん。
行くところまで行ってみて、来るところまで来てしまった、 その時そう痛感した。

私がたとえ男であったとしても、きっと沢山のハードルはある。
しかし、私はエントリーの資格すらなく、
それどころかご両親にとっては嫌悪すら感じる存在なのだろう。
彼女への、曇りのない愛情に手を引かれてここまで来たけれど、
急に自分自身が異形で薄汚い生き物のように思えてきて、身が縮んだ。

相性が良すぎるのかなんなのか、
お互いが何を考えているのか  手に取るようにわかるのが悲しかった。
私は別れの言葉が切り出せなかった。
ありったけの想いをきちんと言葉に尽くしてと思いながらも、どうしても口にできなかった。
また、彼女の電話やインターフォンを拒む事もできなかった。
どうすべきなのか頭では分かっていても、 感情がついていかない。
もう物理的に距離を置くしかないと思った。
でも目は語ってしまうし、抱けば全てが伝わってしまう。
だからそんな言葉に出来ないような想いも お互いに承知したと思う。
考えてもみなかったことだけど、これから私たちの人生は隔たっていくのかと思うと
ますます彼女への愛しさは度を増し、切迫し、 
朝が来るのが早すぎると思うような時をを幾日も送った。

そして、私は彼女に何も言わぬまま淡々と手続きを進め、 ある日転居した。
誰も知らない転居先で1日中椅子に座っていたような気がする。
座っていると、朝の光が差し込んであっという間に陽が翳り夜になる。
え?もう1日が終わるのか、と不思議に思ったことを思い出す。

数日して、転居届けが間に合わなかった郵便物を取りに前の住まいを訪れた。
慣れた道、つい数日前までそこにいたのに色んな事が思い出されて懐かしくさえ感じた。
何も考えず、感じず、ただとにかく用だけを足そうと心に言い聞かせてきたのに、
そこに近づくと やっぱり心は揺れた。
ドアを眺めた。
その向こうには、ほんの数日前までの彼女との思い出がいっぱいで
まだ温みすら感じるような 彼女のまぼろしが見えるような気がした。
視線を外して、郵便受けから郵便物を取り出した。
中に、彼女からの厚みのある手紙があった。
切手は貼られていない。
私はその手紙を開封することができなかった。
別れの言葉がつづられていたら、きっともう立ち直れない。
私を求める内容だったら、 もう自分を抑えることはできないし、きっと別れられない。
ドアの前、彼女はここで泣いただろうか。
彼女が幾度となく触れたドアノブ。 ノブを握ると金属の冷たさがしみた。

その後私は5年あまり土地を離れた。
再び帰京してのち更に数年後、偶然知人に会い、思いもかけず彼女の近況を知った。
彼女は数年前に開業。、私生活においては結婚し2児をもうけた後 離婚。
今は仕事と子育てに追われる日々。
事情を知る知人は、私の表情から何かを読み取りたかったようだが、
その時はあまりに突然でよく飲み込めず、残念ながら動揺する余裕がなかった。

1人の時間に、恐る恐る彼女の事を考えた。
起伏のある道だったんだね。
今は落ち着いているのかな。
幸せ?
結婚に出産か・・・、
ご両親もさぞ安堵し、喜ばれた事だろう。
やっぱりこれで良かったのだと思うしかない。
結婚、出産,世間的にまっとうである事、・・・私が彼女に贈れないもの。
了見の狭い私は、やはり素直には喜べない。 
胸に苦いものが広がってしまう。
いや、もっと正直に言えば、その見えない男に胸焦げるほど嫉妬した。
しかし・・・後、離婚。
2人の子供を抱えての離婚は、さぞ大きな決断と勇気がいった事だろう。

打てば響くような人だった。
そして時にこちらがたじろく程の激しさを持っていた。
でも、ご両親の心痛や、離婚が子供に与える影響を考えないような人ではない。
きっとまたどこか、人の知らないところで泣いてるんだろう・・・、
そう思った時、居ても立ってもいられない気持ちになって
想いは一気にあの頃へ戻ってしまった。

けれど今更どうなるものでもなく、
私はそれまでそうしてきたようにただ仕事に埋没するしかなかった。
手帳を予定で真っ黒になるまで埋め尽くすと安堵した。
それを追い、追われるところへ自分を追い込まなければ不安だった。
PCの普及にともなって、大いに仕事を家にも持ち込んだ。
そんな時、彼女を見かけた。
彼女は息子を連れていて、少し離れたところを私には気付かずに通り過ぎた。
髪を切ったんだね。
ちょっと重くなった?
そんな事を思いながら呆然と彼女を見送った。
意外と落ち着いてるジャン自分、・・・と思ったのもつかの間、 
ただそれだけのニアミスだったけれど、やっぱり私は動揺し自分を失ってしまった。
文字通り早鐘のように、いや、早鐘より早く胸が打ち、
どうにも気分が悪くなって・・・、
人生で初めて救急車に乗った。
大雑把に言えば、不整脈。
まったくみっともない話、 ウソみたいなホントの話。
昼夜の別のない無軌道な生活や睡眠不足、日ごろの不摂生がが原因であって、
決して彼女のせいではないけれど、
このタイミングの良さ(?)には、自分でも苦笑いするしかない。 


入院中、ありあまる時間ができてしまって逃げ場がなく 
色んな事を考えるようになった。
たとえば、もっと上手に生きる事はできなかったのか。
2人の関係を世間に隠しながら生きている人の方が多いと思う。
色んな考え方があって、そのどれもそれぞれの状況に合わせて 配慮し、
2人が選択した最良の付き合い方なのだろうと思う。
でも私はそれができなかった。
不器用というのもあるけれど、ただ夢中だったのかもしれない。

少し前に「 乾パン先生とこんぺいとう 」という韓国ドラマを観た。
なかに、主人公が空港で相手役に愛を叫んで告白する印象的な場面があった。
・・・これだよな・・・と思った(笑)。
似たような事があったような、なかったような・・・、とにかく想いはそのままだ。
恋ってそんなものじゃないのかな。
理性だとか平常心だとかと対極にある。
仮定の話は好きではないけれど、 もしあの頃に戻れるとしたら・・・
2人の関係を問いただされて、
「 やだー、やめてくださいよー。 ただの友達ですよー。 」 と言えるだろうか、
やっぱり 「 愛しています。 お嬢さんを私にください! 」 とやってしまって
彼女の父親にちゃぶ台をひっくり返されていると思う。 (ちゃぶ台あったかなー?)
やはり私たちにはこの道しかなかったのだと思う。

いつのころからだろうか、 年に数回、深夜に電話が鳴るようになった。
何も言わない無言電話なのだけど、私は直感的に彼女だと思った。
仕事を終え、親業を終え、素の自分に戻った1人の時間?
何かつらい事があったとき?
偶然かもしれないが、2人しか知らない記念日や、思い出の日に電話が鳴る。
はじめは戸惑ったけれど、名前を呼んで語りかけると
電話の向こうの空気が動くような気がした。
私は自分の近況や、彼女との共通の話、彼女への想いを一方的に語る。
(もしも違う人だったら、その人ごめんね。 結構長電話だよね。付き合いいいね。笑)

彼女が何故何も言わないのか、その気持ちはよくわかる。
きっとこれが今彼女にできる精一杯のこと。
一方的な私の話に、時折聞こえる忍び笑いや、かすかな嗚咽、
電話は不思議なほど微妙なニュアンスまで伝わるものだなと思う。
彼女のいろんな想いが胸の中に流れ込んでくるような気がしてたまらない。

何も言葉が返ってこなくても、虚空にではなく電話の向こうに 
彼女の名前を呼ぶとき、私はとても幸せだ。
かといってこの先また2人に接点があるかといえば、それはもうないと思う。
それもよく分かっている。
この先お互いに何か変化があれば、フッと切れてしまう細い細いコンタクト。
だからいつも万感の想いを込めて 私は彼女に想いを伝えたいのだが、
いざとなるとやはりアタマ真っ白で言葉が見つからず
どうも上手く伝え切れていないような気がして、
受話器を置いたばかりでも もう次の電話を待ってしまう。

 


 「 わびぬれば 今はた同じ 難波なる  身をつくしても あはむとぞ思ふ 」
                                         ( 元良親王 )

  ー行き詰ってしまったので 今となっては同じ事、
      難波にある澪標ではないが 身を尽くしても 逢おうと切に思うー

 

  「 風に舞いたる菅笠の 何かは道に落ちざらん
         わが名はいかで惜しむべき  惜しむは君が名のみとよ 」
                                          ( 芥川龍之介 )



 
  「 瀬を早み 岩にせかかる 滝川の  われても末に あはむとぞ思ふ 」
                                           ( 崇徳院 )

  -瀬の流れが早いので 岩にせき止められる急流のように
                      別れても後には 必ず逢おうと思うー


 

さすがわが国が誇る百人一首。
もうなんでもアリではないか。
長きにわたる彼女への想いの変遷を、順にこの3首に託してみた。

1首目の 「 わびぬれば・・・」の「 わぶ 」とは、
物事が行き詰って苦しみ悩む気持ちをあらわし、 
「 今はた同じ 」は不義の恋が世間に知れた今となっては、どうなろうと同じことの意。
もう破れかぶれの(笑)この情熱、 そう、恋とはそんなもの。
2首目は、芥川の相聞歌。 ちなみに「 君 」は同性だと言われている。
3首目・・・
ちょっとつらくて言葉にならない。
君が好きな文芸作品のモティーフになっていた歌。 君に贈る。
百人一首の札の上の句を、今でもちゃんと持ってるよ。



世の中にはきっと、大変な思いをされている同性愛者の方も多いと思う。
信じられない話だが、国によってはひどい刑罰の対象になっている所もあると聞く。
日本の、この比較的自由に見える今の時代にだって
色んな見方や考え方は歴然とあるし、
セクシュアルマイノリティーにとって少しは住みやすい社会に
変化したかと言えば 実はそうでもないような気がする。
時折TVのドキュメンタリー番組であるように、
カミングアウトした方を 、戸惑いながらも少しずつ受け入れていく家族や周辺
・・・という図ばかりではないということだ。
現に、直接の知人ではないが、カミングアウトの後 誹謗中傷に悩まされ、
耐えかねて自ら命を絶った若い方もいる。
このブログにも、HNだけなのに公開されるコメントを避けて
メールフォームを利用される方のほうが多いというのも その証左ではないか思う。


誰かを愛するということは あなたにとってどういうことだろう。
このブログを読んでくださっている方は、ビアンばかりではなく
ゲイの方も、ヘテロの方もいるようだ。
愛する気持ちに何か特別許しがたい違いがあるのだろうか。
米国の同性婚の住民投票がどうなろうと、
米俳優のジョージ・タケイさんのコメントのように、
私たちがごく普通の人間である事をわかって欲しい。
そして同性婚がいつかなんでもない事になり、
ごく自然に彼女の手を取れる日がくることを願っている。


   カプチーノ・女の子. 


タイプしている途中、普段忘れていたような事まで思い出されて何度も手が止まった。
彼女とともにあった日々。
人生の2分の1、 3分の1・・・ と割合は減っていくけれど、
やはりそれでも結構なウエイトだ。

世の中の恋人同士と同様に、私たちにも春があって夏があって秋があって冬があった。
月があって花があって君がいた。
そんなに簡単にリセットなんてできないよ。 
もうどうしようもなくて やっていられない。
時折ここで、こうして彼女への想いを放つことを 許してほしい。


ところで、今に至る経緯をかいつまんで綴ってみて あまり笑える話でなくて恐縮している。
でも2人でいる時はただ楽しくて幸せだった。
もう、なぜかやけくそになって、今度はそんな幸せな話も書いてみたい。
 

今ざっと読み返してみて、自分でも信じられないこの記事の長さにおどろいた。
途中、流れたような部分もあるけれど、
書き直す気力がないので どうかこのままでカンベンしてほしい。

目がどっと疲れてしまった。
きっと途中でリタイアされた方は多いんじゃないかと思う。
ここまで読んでくださった方には 「 お疲れ様 」と、
ただただ感謝申し上げるほかない。
折角普通の社会でそれなりに生きてきたのに、
ブログを始めてのち、いろんな方との交流によって、
徐々にタガが外れていっているような自分がコワイ。

とにかく お疲れ様でした。 そして私も つ か れ た ぜ!
では!

 

スポンサーサイト



21 : 15 : 16 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(19) | page top↑
| ホーム |